松田智恵さん世界旅 (2007年12月18日~2010年3月26日)
世界一周旅行に出かけた松田さんは、2年3カ月に渡りそれぞれ訪問国の旅行記を同窓生・在校生に送ってきてくれていました。帰国後旅の総まとめをA4サイズ7ページにまとめてくれました。その抜粋をHPで紹介いたします。
12月18日の朝、成田空港にいた私は約8kgのバックパックを背負って世界一周の旅路に就いた。本当はすごく怖かった。知らない土地へ一人で行くのだし、日本ほど安全な国はそうないことが分かっていたからだ。それでも旅に出たきっかけはこうだった。
まず、世界一周をしたいと思った理由は旅することが好きだからだ。外国や言語に興味を持ち、英語を勉強したいと思ったことが旅好きになった理由だと思う。初の海外は中学一年の夏休みに、市が主催する5日間の韓国研修旅行派遣団に選ばれて行ったことである。
十文字には留学制度があったから入学した。留学しても2年間で卒業できるというのは魅力だった。留学先はカナダ。延長して結局7ヶ月間滞在した。そこは白人ばかり、あと先住民とアジア人が少しずつ。韓国と比べたら人種も違うし、文化や習慣もほとんどが異なり毎日が新鮮立った。外国に来ているのだという興奮が私を鼓舞し、色々な事をしたい、見たい、感じたいと常に思った。こういった経験を経て外国への憧れが膨らんでいった。
十文字を卒業し就職したが僅か半年後、とりあえず外国へ行きたいという単純な考えで、ドイツにワーキングホリデーで行った。ドイツを選んだのは、アジアでもなく、英語圏でもない国へ行ってみたかったからだ。
ワーキングホリデーだったからか、うまく使われ辛い思いをした事もあった。一日12時間以上働き、休み時間は30分。給料も法律で定められた最低額だった。そんな中で当時の楽しみは、家から徒歩30分くらいを流れるライン川沿いを歩くこと。もう一つの楽しみは、欧州旅行。ベルギー、フランス、オランダ、ルクセンブルクなどに近かったし、ユーロ導入で旅しやすい環境だったこともあり、平均して月一回諸外国へでかけた。私にとっては贅沢だったが、辛かったから楽しいことを見出せた。この時が初めての海外一人旅であった。
オランダは思い出深い国になった。大麻が合法的に許可されているカフェでは目がうつろな人がいたり、自転車大国で大量の人が自転車に乗って押し寄せてきたり、私の2倍くらいあるんじゃないかっていうくらい背が高い人ばかりで脅威だった。感慨深いものも観た。東京駅のモデルとなった首都アムステルダムの中央駅を見ては、かつて日本がオランダとの貿易を通してその文化を取り入れてきた歴史を知り、アンネ・フランクの隠れ家に入っては、かつての残酷な悲しい過去を感じた。そこには彼女の落書きも残っていた。
ドイツから帰国しても外国へ憧れるだけの私は適当にバイトを始めた。ある時、偶然2冊の本に出会う。1冊は世界一周をした夫婦が出した旅の本。初めて世界一周が可能なことを知る。一番衝撃的だったのは、経済面。思ったより予算は低くても行ける。もう1冊は自己啓発系の本で「例えば自分が余命1ヶ月だと診断されたら、やりたい事をするだろう」と書いてあった。この時、行くしかないと思った。世界一周の旅へ。世界を見ずして死ねないと思った。
後々思うと、世界一周はシンプルで効率的だったと思う。世界を一気に旅できるから経済的だし、仕事を辞めたので“時”を気にせず巡れるから本意に限りなく近い旅になった。短期の旅行者では経験できない事がたくさんできた。
ここからは私が旅で実際に経験した悪いことやいいこと、そこから得たことを書きたいと思う。発展途上国では水周りのものが特に不便だ。トイレにしても、シャワーにしても洗濯にしても。トイレではトイレットペーパーが設置されていない率99パーセント。シャワーは死活問題。なかなか代用はない。世界中で安宿に泊まっていたせいもあって、お湯が出ないなんて日常茶飯事。お湯が出ても5分しか出なかったり、ガスを切らして出ない様な宿も少なくない。お湯が段々ぬるくなって水になる上に停電したという、踏んだり蹴ったりのこともある。でも、よく言えばモノにこだわらなくてものんびりと過ごしていけるということだろうか。自然とうまく共存している、人間味のある人たちと多く出逢うとそういう生き方のほうが人間を豊かにするんじゃないかと思う。洗濯は私が旅の間中よくやってきたことだった。数回以外はすべて手洗い。 機械を使わないということがいい経験で気分転換にもなっていた。生きる上で全てにおいて原始的なやり方はたまにはいいのではないかと思う。途上国ではもの事が機械的に進むことが少なく、面白い。何をするにしても生活そのものを楽しめた。
人間関係もたまに面倒だと思うことがあった。東南アジアでは、日に焼けて現地の人のようになれても、言葉が通じないとぼったくりに遭う。ほとんどの東南アジアでは商品は交渉により安く出来る。中東では、アラブ人以外の存在=外国人=非イスラム教信者=性の対象に見られ近付かれる事も少なくない。最初は楽しかった。新しい人との出会いが向こうからやってきて、話ができることは願ったり叶ったりだった。が、結局最後には性的な話になったりして嫌気が差す。中東に対しては怖いイメージを持っている人が多いと思う。私もそうだった。だが実際は違った。イスラム教の教えにより巡礼者や旅行者には施しをという文化があって、ご馳走してくれたりバス代を払ってくれた人もいたし、公園で休憩中に小銭をくれたおじいさんもいた。一期一会。人には親切にしていきたいとよく思わされた。それに対し、中東からヨーロッパに入ったときは、人々が冷淡なことに驚いた。他人に無関心になっていき、道端での会話も少なくなっていった。忙しい毎日や、他人との競争でゆとりが減ってきているのではないかと思う。私の場合、旅をしている時は概してストレスが少なかった。ゆとりが持てた。そういう意味でも旅は何か自分にとり新たなエッセンスになっている。中南米では中東とは違う面倒臭さがあった。アジア人が珍しい中南米では、アジア人と言えば中国人という意識らしく、中国人女性を意味する“China(チナ)”と呼ばれる。言い方も陰険だ。
日本ではほとんどの人が日本人だしアイデンティティなんて大して考えたこともなかった。周りに差別されることもなかった。日本人のしてきたことを誇りに思う。また、日本人であることで幸運なのかもしれないと思う。日本が高度成長期を経て先進国になった今や、たくさんの人が日本人であるということだけで経済的にも肉体的にも世界旅行が出来る。世界の人の扱い方も違った。親しくしてもらえたし、信頼もしてもらえた。日本人だからとどこの国より歓迎してくれた宿があったり、国境越えや空港で日本人だからと簡単に通してもらえたことが何回もあった。
旅は自分を積極的にしてくれる。一人で旅をするとなおさら、自分を守るのは自分しかない、と能動的になる。友達が欲しければ、ちょっとの勇気を出して話しかけたり、現地の人と話したくてその国の言葉を使ってみたり、その日のプランを立てたりする。嫌いな山登りもした。登山家が言うように「そこに山があるから」登ってしまう。心身共に強くなっていくのを感じた。面白いことに旅の途中で、嫌いなものが好きになったり、好きだったものが苦手になったり、ものの見方が180度変わったことも多い。そこまで顕著に変わると、我ながらびっくりするし、変化が判るのが楽しい。お金の使い方も変わったし、食べ物の嗜好も変わった。自分により正直になってきた気がする。日本にいた時の私は、「職に就いて、多少のお金を貯めて、家庭を持つ」、“普通”の生活がいいと思わされがちだったけれど、旅で毎日本当の自分と向きあえて“普通”というしがらみから開放された。文化や習慣、人種も違う所にいると、私は他と違うことが“普通”であり、他が見た目も違う私を認めてくれるのだ。そういう状態が続くと思い始めたことがあった。「もっと自分に正直になって、自分の好きなことをしていいんだな、できるんだな」ということ。趣味や仕事にしたってそうだし、こういう冒険にしたってそうだと思う。
モロッコでの話。合流する友達をモロッコで待つことになった。待つだけじゃもったいないから働いてみたいと思った。もちろん旅行者の私は就労が禁止されている。そこで「お金は要らないから食事と寝床を提供して下さい」とダメモトで挫けずどんどん尋ねた。ある宿のレセプションのモロッコ人女性、ファティマが「寝るところに困っているんだったら家に来るのはどうかしら?」と話しかけてきてくれた。結局約6週間もこの家族と一緒に過ごした。異文化交流を図れたことが私にもプラスだったし、ファティマは子供たちの為でもあったと話してくれた。イスラム教の生活、モロッコの日常は日本とまるで違い驚きの連続だった。宗教概念は特に受け入れることが難しい点もあったが、人の優しさやシンプルライフに感動したり、言葉がまったく通じない人との対話が楽しかったりした。これこそ学校では学べない社会の授業だ。異文化に触れられたことは何よりの思い出でとなり、この経験が出来たことを誇りに思っているし、これからの何かに活かしたいと思う。この家族に感謝。積極的になることで、今までの私にはない経験、今までの私ではない私が生まれた。
アメリカ大陸に来ていよいよ帰国が近付いてくるのを感じると、帰りたくなかった。よく聞かれるが、私が旅した2年3ヶ月の間、一度もホームシックにかかったことはない。食べ物も現地の物にすぐ慣れて、珍しいものもよく試した。東南アジアやコロンビアでは虫も食べたし、エクアドルでクイと呼ばれるネズミも食べた。ホームシックがなかった分、帰国するのが怖かった。少しの間離れていた日本で誰が私を受け入れてくれるだろうかと心配だったり、友達にしたって感覚のずれで、まだ友達でいられるかなって思ったりした。完全に臆していた。出国前は、旅立つことがあんなに怖かったのに帰国直前は旅を終えることがこんなにも怖い。気付かないうちに物事は180度変わった。
2010年3月26日午後、成田に到着。約15kgの全財産は、出発時の二倍になっていた。旅が出来たことで全てのことに感謝できるようになった。本当に、ただ日本人であるだけでチャンスは大きかったと思うし、家族が健康でいてくれて、そして理解してくれていて、安心して旅を出来たことにも感謝している。旅の途中で出逢ったたくさんの人に親切にしてもらったことや、日本からメールをくれた友人達から、人の暖かみや有難みも感じた。帰国した今、この経験を通してやりたい事やなりたい自分になれるようにポジティブに動きたいと思う。

