学情研メルマガ 

投稿記事の紹介(学習ソフトウェア情報研究センター)

第14回目 (メルマガ61号)
「IT活用教材標準化委員会について」

去る12月9日に学士会館分館において,IT活用教材標準化委員会第1回 総会が開かれた。当委員会の発起人は,NPO法人ゆーらっぷの原久太郎氏で, 委員会の代表を務めている。委員会の委員長を井口が引き受けて,事務局は (株)ラティオインターナショナルの木村裕文氏が担当している。 当日の概要をお知らせする。

1 設立趣旨(原久太郎氏より)  2005年からの教室がインターネットを中心としたITを活用した環境に変 わろうとしている。これは,総合的な学習の時間や高等学校の教科「情報」 のみならず,普通教科の指導でも,ITを活用することが求められている。 2005年から普通教室ではチョークと黒板の環境にコンピュータとプロジェク タによる指導環境が加わることになる。その教育環境の変化に対し,ソフト ウェアや教材も変化しなければならない。この期待に応えられるのは,主た る教材である教科書発行会社とともに,これまで教育用ソフトウェアを開発 ・発行してデジタル教材のノウハウを持っている教材発行会社である。

 IT活用標準化委員会は,こうした教育環境の変化,求められる教育用ソ フトウェアのあり方を考え,教科書をベースとしたデジタル教材を作る際の 著作権処理やWebコンテンツにする場合の技術的な問題点などを協同で解決 していくことで,良質な教材を学校に提供していこうという趣旨で設立され た。

2 2005年からの教育環境と教科書・教材発行社への期待(井口より)  すべての学校のあらゆる授業において,教員や児童生徒がコンピュータを 活用でき,いつでも・どこでも・誰でも学習できる環境をユビキタス学習社 会ということにする。ユビキタス学習社会を支援するのは,当然ユビキタス ネットワークである。ユビキタスネットワークの基本概念は,状況,環境に 適応可能なネットワークであること,なんでも端末になるように利便性,多 様性の高い端末環境であること,サービス・アプリケーションが自在に利用 できる環境であること,多数のユーザが同時に利用できる超高速なネットワ ークであること,安心して情報利用できる環境などである。

 このようなユビキタスネットワークのミニチュアが,いつでも・どこでも・ 誰でも使える校内ネットワークである。校務の情報化では,共有フォルダー や共有プリンタの利用,時間割などスケジュール管理が考えられる。教授 支援では,教材データベースや教育用ポータルサイト(NICER)の利用,教 材メーカーの素材集などの利用が考えられる。学習支援では,WBLやネット ワーク型のソフトの利用,実社会のシミュレーション(株の取引,コンビニ 経営等)利用などが考えられる。

 このような校内ネットワークの発展系として,e-Learningがある。 e-Learningでは,映像や音声,文字などによるチャットを行いながら,共有 スペースで協同学習をすることができる。学習者はサーバー上に自由に共有 スペースを作って,グループによる情報の共有が容易にできる。校内のサー バーを自宅からアクセスできるので共同学習の進行が早くなる。質問に対し て回答者を選ぶことにより,的確な答えが得られるようになる。

 e-Learningを支援する教材はどのように作られるべきか。IT活用教材を 作るうえでの問題点は何か。教科指導で利用されるデジタルコンテンツの開 発,教育方法・技術として継承される教育用ソフトウェアの開発,教科書準 拠型教材作成の著作権処理,市場への認知の仕方など,当IT活用教材標準 化委員会が積極的に提案していく役割を担うことになる。教科書・教材メー カーに期待することは,次のようなプロフェッショナルとしての知的能力の 提供である。

 メーカーサイドのプロがトレーニングや検定試験などを経て達成した,専 門領域における基本的習熟事項を学校現場に提供する(Know What)。メーカ ーサイドのプロとしての専門領域のルールを現実世界(学校現場)の複雑な 問題に応用する(Know How)。メーカーは専門領域の根底にある因果関係の 複雑な仕組みに関する知識を活用し,教育システム(教育行政が何を求め, 学校や教師は何を望んでいるのか,その理由は何か)を理解する(Know Why)。 メーカーと教師とが協同して,成功への志向,やる気や適応力を醸成し,自 分たちで次の課題を作り出す自律創造性を持った組織に発展させる(Care Why)。これらの知識マネージメントの根本は,メーカーと学校・教師が協同 して「学ぶ組織」になることであると思う。

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第13回目 (メルマガ58号)
「情報教育の担い手,司書教諭!!」

1.司書教諭の配置  平成15年度より,12学級以上の規模の学校図書館には司書教諭を配置する ことが学校図書館法によって決められている(平成9年6月)。それによって, 各地方自治体はなんとか学校に司書教諭を配置するように努力している。所沢 市では学級数に関わらずすべての学校に司書教諭を配置したそうである。  十文字学園女子大学では,毎年夏季休業中に文部科学省委託の「司書教諭養 成講習会」を開催している。私は科目「情報メディアの活用」を担当している が,司書教諭こそ「情報教育の担い手」になっていただきたいと念じている。

2.メディア専門職  学校や学校図書館が情報化され,インターネットに接続されたコンピュータ が普通教室や特別教室にあり,各種の情報メディアが蓄積され,「総合的な学 習」の時間が実施されるようになると,従来の学校司書や司書教諭の知識や技 能では十分な対応を取れなくなる。児童生徒に情報活用能力を育成する以前に 司書教諭の情報活用能力あるいはメディアリテラシーを育成し,メディア専門 職に再養成する必要がある。  メディアリテラシーを身に付けた司書教諭や司書を,アメリカではメディア スペシャリストという。メディアスペシャリストは,情報の専門家,教師, 学習指導のコンサルタントの3役を担っている。アメリカのメディアスペシャ リストは,次のような任務をこなしているのである。 児童生徒や教師が,情報源を識別し,知的な内容を解釈したり伝達したりする ことを支援し,情報や知識へのアクセスを保証すること。 情報を利用する技術,資料の製作,情報や情報技術の利用について指導するこ と。 学校全体の教育課程や教育活動の計画を援助すること,さらに個々の教員の授 業計画に対して提言すること。 アメリカでは1989年にメディアスペシャリストの養成プログラムをスタートさ せ,1998年に児童生徒の情報活用能力の育成プログラムを,メディアスペシャ リストのいる学校図書館を中心にして実施し始めている。

3.期待される司書教師像  今年度から12学級以上の学校には司書教諭を置かなければならない。地方教 育行政では司書教諭を配置する準備のために,司書教諭免許状を持っている教 師の実数を調査したところ,過去に発行されている免許数よりもかなり下回っ た数しか集約できなかったという話がある。このことは,司書教諭の配置を文 部科学省が教員定数増で対処する予算措置を講じないために,司書教諭免許を 保有していることを申し出ると,教科担任や学級担任などの従来の仕事に大変 な業務が付加されるのではないかという不安の現れであろう。  しかしながら,すでに全国の学校で実施されている「総合的な学習」の時間 や,平成17年度までに整備される普通教室のコンピュータや校内ネットワーク やインターネットを活用した分かりやすい授業を行うように期待されている時 に,司書教諭の役割は非常に重要になってくる。  アメリカのメディアスペシャリストのように,日本の司書教諭も,情報リテ ラシーを身に付けた情報の専門家であり,カリキュラム編成ができ授業設計が できる能力を持った教師であり,学習指導コンサルタントという三つの役割を 持った司書教諭になってもらいたい。  大学等の高等教育機関における図書館の役割も急速に変わりつつある。図書 館専門職と情報技術専門職の境界がなくなり,情報技術とコミュニケーション 技術を身に付けた情報資源専門職が必要になっている。大学における情報資源 専門職の役割は,大学の運営等の意思決定に参画し,リーダシップを発揮でき る地位と責任を持った専門職となることである。

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第12回目 (メルマガ55号)
「ブロードバンドの普及による学習環境の進化」

○2005年には  「教育の情報化」のミレニアムプロジェクトからe-Japan重点計画の施策として, 「2005年度までに,すべての普通教室に2台のPCと1台のプロジェクタを設置し, すべての学校のあらゆる授業において,教員や児童生徒がコンピュータを活用でき る環境を整備する」ことが謳われている。そのような環境を利用して,どの教科ど の教員も,わかる授業を実現し,確かな学力を身に付けさせることが要求されてい る。  すでに数万点のディジタルコンテンツが開発され,Web上で公開されている。国立 教育政策研究所のNICERにも多くのディジタルコンテンツが蓄積され,提供されてい る。今後,コンテンツの主力は映像に移っていくことは確実で,これらの映像をイン ターネットを介して教室で快適に利用するにはブロードバンドが必要になる。NICER などの教育ポータルサイトを通じてディジタルコンテンツが充実してくれば,教室で の学習は大きく変わると考えられる。

○ユビキタス情報社会  平成15年度の情報通信白書によると,次のように述べられている。 我が国は、情報通信インフラ面では世界をリードしつつある。・・・これらの優位性を 活かし、世界に先駆けて「いつでも、どこでも、誰でも利用可能なネットワーク」(ユ ビキタスネットワーク)社会を実現し、このモデルを世界に向けて発信すれば、我が国 の国際競争力の確保や国際貢献に資すると考えられる。  その一方で,次のように報告されている。 インターネット利用格差の最大の要因は世代であり、インターネット利用者におけるブ ロードバンド利用格差の最大の要因は都市規模である。今後、高齢者等に優しいインタ ーネット端末の開発・実現、利便性を実感できるアプリケーション・コンテンツの開発、 ブロードバンドサービスの地理的格差の是正が必要である。  ブロードバンド利用人口は,2002年度末には1955万人であるが,2007年度末には約6000 万人になると予想されている。このようにブロードバンドのインフラが整備されると,い つでもどこでも様々な情報を入手することができる「ユビキタス情報社会」が実現するだ ろう。

○ブロードバンドの教育利用  だれでもどこでも学習できる「ユビキタス学習社会」こそ,生涯学習のあるべき姿だと 考えられる。今不況の時代にあって,リストラ対象者にならないために,自己のスキルア ップにWBT(Web Based Training)を利用する人が増えている。しかし,現実には印刷した ものを朝夕の通勤電車の中で読んでいるという状況である。  京都大学や立教大学では講義や板書,提示資料等をビデオ録画し,ディジタル化して映 像はストリーミングで閲覧可能にしている。立教大学では携帯電話を使って授業中疑問に 思った箇所,重要と思った箇所で信号を送ると,後からそれらの箇所を再現できるように なっているそうである。これらの大学における実験成果を,ブロードバンド時代では長期 入院中の学習者や在宅学習者が利用できるようになるだろう。これらの仕組みをe-Learning と呼んでいる。

○ユビキタス学習社会  通学電車の中とか,歩きながら勉強するスタイルがあたりまえになるとは考えにくいが, 街中で出会った英単語の意味をその場で知りたいというようなことはあるだろう。すでに 携帯電話やPHSには国語辞書や英語辞書が搭載されていて,便利に活用されている。このよ うな携帯端末を使った学習の研究もされており,m-Learningといわれる。  NHKの学校放送番組は一方向性であるが,ブロードバンド時代には双方向性になるだろ う。しかし,番組はライブではないので,講師に質問しようとしても無理である。放送中 にその場面で何らかの端末を使って質問すると後ほど回答が返ってくるとありがたい。  そこで,質問からキーワードを拾い出して適切な回答をFAQから検索してくれ,どんな 質問にも答えてくれる情報サイトがあるといい。2000年に元マイクロソフトのエンジニア が立ち上げた「AskMe.com」というサイトは,10万人以上のボランティアの「専門家」が質 問に回答してくれるところであった。(現在のURL http://www.askmecorp.com/)  日本においては,佐伯胖・美馬のゆり両先生が95年頃に実験された「学びの共同体」若手 科学者との交流,不思議缶ネットワークの子どもたちの取り組みが先例としてある。子ども たちが疑問に思ったことを,若手科学者に質問すると科学者が即座に答えてくれるようなシ ステムである。当時は質問者と回答者の顔が見えなかったパソコン通信で行われたので,議 論が深まらなかったところ,教室に若手科学者が来て自己紹介しあった後では議論が深まっ たとのことであった。今では,テレビ会議システムを使えば簡単に実現できるだろう。

○これからの学校教育  教師が変われば,子どもが変わることは明らかである。教師が変わるためには何が必要 か。それは「知的好奇心」であり「探究心」である。新しいことに挑戦し,心をときめか せながら探究する姿は子どもたちへの最高の教科書である。  かつて,後藤忠彦先生(岐阜大学名誉教授)は「新システムが子どもを良くするわけで はない。新システムに興味を持って集まってくる優秀な先生が子どもを良くするのだ」と 言われた。  ブロードバンドを利用して教育用コンテンツを授業の中で使ってみようとすること,そ の意気込みが子どもを変えることになる。 (本稿は、8月6日の学情研情報教育セミナー2003資料からの転用である。)

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第11回目 (メルマガ52号)
「ブロードバンドの普及による情報教育の進展」

去る,8月6日に学情研主催の「情報教育セミナー2003」が,市ヶ谷の私学会館アルカディア市ヶ谷で開催された。テーマは「ブロードバンドの普及による情報教育の進展」で,常磐大学国際学部の堀口秀嗣先生が基調講演をなさった。その後,同じテーマでパネルディスカッションが行われた。要旨は以下の通りである。(学情研「学習情報研究」別冊を参照のこと)

●「ブロードバンド環境に対応した動画,画像資料の作成とその活用」 坂井岳志先生(世田谷区立八幡小学校)
 世田谷区内の全学校・全施設に100Mbpsのブロードバンドが敷設されている。このブロードバンド環境を利用して次のようなことが可能である。@高画質な写真データの活用として,理科写真資料や地域資料の充実により,児童は従来以上に興味関心を持つようになる。また,児童の撮った写真のデータを圧縮したり小さくしたりする技術的なことが不要になった。A高画質な動画資料の活用として,理科動画資料や社会科の地域動画資料,体育教材資料などを作成し,MPG-4で滑らかな動きを提供することができる。FLASHやディレクター,JAVAを使ったインターネット教材を充実させ,インタラクティブな学習を支援することができる。このようなブロードバンドを利用したインターネット教材を活用して,児童がより主体的に活動する道具として,また基礎・基本を一人ひとりに即した形で提供することができるようになる。

●「三鷹市における情報教育活動」 本間葉津子先生(三鷹市立大沢台小学校)
 三鷹市は早くからCATVによるブロードバンド接続が実現されており,動画や立体映像を用いた情報教育活動の研究がなされている。学校・家庭・地域をインターネットで結ぶ地域イントラネットを,今年度全小学校で来年度は全中学校で実施される。イントラネットでは,学年・学級の様子,児童の作品,委員会・クラブ活動,共同学習,学校行事,遠足などの校外活動,校内での講演会,研究授業,不登校児への授業の配信などが提供されている。PDAを用いた校外授業などでは,デジタルビデオカメラやGPSで位置測定をしたり,PH計を使った水質検査などをしたり総合的な学習の研究もされている。今後,三鷹市では児童生徒全員にモバイル端末を貸与し,高速無線LANを使って学校外からもリアルタイムでIT教育を受けられるようにする予定である。

●「技術の進歩と情報の活用」 中村 司先生(野田市立東部中学校)
 中村先生が当時の文部科学省生涯学習局学習情報課においでになった頃の,バーチャルエージェンシ「ミレニアム・プロジェクト」の施策の一環として「学習資源デジタル化・ネットワーク化推進事業」を基に話された。コンテンツの中身は,どの教員も必ず利用する教科書の中身とし,「教科書プラス」と称した教科書の資料のデジタル化を促進した。  初等中等教育局参事官室では,平成14年度に「ITを活用した教科指導法に関するWebサイト」の開発事業として「IT授業実践ナビ」を公開している。デジタルコンテンツの活用高度化事業では,12コンソーシアムにより1000以上の指導事例が集められた。  デジタルデバイドの原因でもある,インターネットに接続できない地域や学校があったり,通信費が賄えなかったりするようなインフラデバイドを解消するためには,各種のサービスをうまく活用する必要があるだろう。

●「デジタルコンテンツの教育利用」 小川 亮先生(富山大学教育学部)
 小川先生からは,ブロードバンドが提供する可能性と限界に関するお話をうかがった。情報インフラ整備には,教育の情報化と校務の情報化の両方が必要である。デジタルコンテンツには素材型と教材型があるが,同時にその利用方法(授業案;レシピ)を提供する必要がある。  ブロードバンドの利用には,基盤ネットワークや教育ネットワークにおいて国や県,市や学校が連携を取る必要がある。ADSLも決して高速ではなく,企業や個人の利用を前提としているので,同時に多くの利用者が1本の回線を利用することを想定していない。ギガビットの回線を計画的に導入するなどの政策的な対応が必要である。  ブロードバンドはネットワークにアクセスする可能性を広げたが,ネットワークで得られる情報そのものを改善する技術ではない。デジタルコンテンツはCD-ROMやDVDでも提供できるし,校内サーバに蓄積すれば教育という目的は果たせる。最終的には,教師にとっての情報活用能力の育成がポイントである。人間にとって目に見えない物は「無いもの」であり,人間の意識は視知覚に影響される。視覚化は人間の認識力を高めるが,すべての情報を視覚化することは無理がある。したがって,教師にインターネット上にコンテンツがあると説得しても,利用者は増加しない。最終的には教師の問題であるが,人間の認識を拡大し目に見えるようにする技術の発展も重要課題である。

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第10回目 (メルマガ49号)
「子どもの脳力(前頭前野の活性化)」

●最新型うそ発見器
 朝のラジオ番組で,アメリカのメイヨークリニックの研究者が最新型の嘘発見器を創ろうとしているというニュース報道があった。メイヨークリニックの研究者はすでに,人間の顔の温度変化を測定することによって83%の正答率でうそを判別できる装置を開発済みであった。ところが,最近になって人間の前頭前野の血流を調べることで100%近い正答率でうそを判別できる嘘発見器を創ろうとしているそうである。

●前頭前野を活性化する
 去る5月30日に日本教育工学振興会(JAPET)の総会があり,東北大学未来科学技術共同研究センター教授川島隆太氏の「脳を知り 脳を育む」という記念講演があった。非常に興味深く時間があっという間に過ぎてしまった感じがするほど熱中してお話を伺った。 川島先生のお話をかいつまんで結論的に述べると,次のようになる。  脳の成長は脳の機能を向上させることであり,肉体のトレーニングと同じように脳の機能を向上させるためにはトレーニングが必要である。ではどのようにすれば,前頭前野を鍛えることができるのか。実際に,Functional MRIという装置を使って前頭前野の血流を調べてみると,次のような場合に前頭前野を活性化することが観察できた。足し算,数唱のような単純な数え,日本語の文章を音読する,字を書く,このような読み書き計算の基礎学習が子どもたちの脳を発達させる。  川島先生は,光トポグラフィーによる脳機能の測定装置をご子息の頭に付けて,自宅で測定されたそうであるが,そのような実験からさらに重要な発見をされたそうである。それは,「子どもの脳を健康に育てる上で最も大切なことは,両親と子どもとのコミュニケーション」であり,「二番目に大切なことは,遊びを通した子ども同士のコミュニケーション」であるということである。

●読み書き計算の効果
 川島先生のお話の中で,いくつもの具体的な事例が紹介された。高齢者を使った研究では痴呆症の老人にも効果的であることがわかったそうである。痴呆症の老人に毎日算数(といってもクレペリン検査のような単純な計算)を10分間と音読を10分間続けてもらうと,学習前に無表情だった老人も半年後には表情豊かになり,着るものにも意識するようになったそうである。また,この学習療法を行う前の音読中の前頭前野は活性化していなかったのに,3ヶ月後にはかなり血流が増えて活性化していることが測定されたそうである。こうして,痴呆症の老人に対しても読み書き計算の効果があることが実証されたそうである。

●学習前の音読と計算
 毎朝10分間を読書の時間に当てている学級は多い。少々切れる子どもの多い学級も,半年くらい継続すると落ち着きを取り戻すという報告があるが,前頭前野の活性化の影響であると言えそうである。100マス計算も前頭前野の活性化に有効であるということが実証されたと言えるのではないだろうか。

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第9回目 (メルマガ45号)
「総合的な学習の時間」で求められる,21世紀のスキル 

 総合的な学習の時間の中で,情報活用能力の育成が求められている。最近の学校インターネットプロジェクトや,Jearnプロジェクト(http://www.jearn.jp/iEARN/index.html)でも調べ学習による交流が盛んになされている。しかし,調べ学習が効果を挙げているクラスと,そうでないクラスの差が明確である。それは,担任が子供たちに明確な問題と具体的な課題に対するイメージを持たせられているかどうかにかかわっている。子供たちが調べ学習を好きな理由は「楽しいから」である。しかし「楽しいから」という中には,単に「時間つぶし」で済むからとか,「あちこち探し回ったり,調べ回ったりするから」とか,「学校の外に出かけられるから」とか「いろんな人に会えるから」など,多様な理由が挙げられている。

 さて,このような「総合的な学習の時間」における調べ学習は,「確たる学力」に連結するだろうか。また,「生きる力」なっているのだろうか。「調べ学習」を通して,子供たちが「生きる力」を身に付けられていれば,それは当初の目的をかなえているわけであるから,この上ない喜びである。  しかし,「調べ学習」の抱える問題点は,なぜ調べなければならないのか,何が未解決な問題なのか,何を問題提起されているのか,など子供たちがどこまで納得できているかという点である。  「調べ学習」の目的が,単に調べることや調べる方法を身に付けるだけであればまったく価値のない学習である。  従来の学校知(内容知)から脱却し,方法知あるいは組織知へと進むことができるだろうか。すでに堀口先生がアメリカのenGaugeの「21世紀のスキル」を紹介されているが,その21世紀に求められるスキルの中に,組織作りが挙げられている。 繰り返しになるかもしれないが,再度紹介すると,次の4つのスキル,@ディジタル時代のリテラシー,A創意に富んだ思考,B効果的なコミュニケーション,C高い生産性,という枠組みが挙げられている。(http://www.ncrel.org/engauge/skills/skills.htm)

@ディジタル時代のリテラシー
・基礎的・科学的・数学的・技術上のリテラシー
・メディア(視聴覚,情報)リテラシー
・文化的なリテラシーや世界規模の認識力
A創意に富んだ思考
・複雑さを管理する適応性や能力
・好奇心,創造性,冒険心
・高次の思考と堅実な推論
B効果的なコミュニケーション
・組織作り,共同,対人関係の技術
・個人的また社会的責任感
・対話型コミュニケーション
C高い生産性
・結果に向けて,優先順位を決め,計画を立て,管理する能力
・現実世界のツールを効果的に利用するスキル
・適切で高品位な成果物(意味のある結果)を作り出す能力
これらのスキルがさらに具体的な下位のスキルになって,それらが日本の「総合的な学習の時間」で培われるスキルになっていけば,調べ学習も本物になっていくと思われる。

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第8回目 (メルマガ43号)
「コンピュータが子どもをダメにする?」

 今から20年前,筆者が東京都立教育研究所の指導主事になった年に,当時の問題行動プロジェクトの主査が,小此木啓吾著「こころの進化」を読みなさい,と勧めてくださった。
 今でも読み返すと,最近の児童生徒の行動を予言したように,操作原則が当てはまるように思えてくる。操作原則とは,「何らかの操作によって,自分の思い通りに現実を動かす際に心が従うべき原則」のことである。
 小此木氏は具体的な事例を紹介されているが,「手練手管だけを身に付けた現代っ子の増加」とか,「対話性を失った家庭生活」とか,「ロボット化していく医師の診断法」とか,21世紀の世界でも通じるような話には驚愕するも納得してしまう。その中の一つの事例として「コンピュータに合った思考法を身につける受験勉強」という話がある。小此木氏は,「勉強もティーチングマシンでやり,試験もコンピュータで採点する結果,この機械の機能に順応した画一的な思考や判断のパターンが,次第に人間の知性までをも均質化し,誰もが同じ範囲の欲求満足を求め同じパターンの中で生活するという画一性をもたらすのです」と述べている。昭和60年代のCAI全盛を批判する意味も込められているが,道具を使っているつもりが,道具の使える範囲でしかものごとを考えなくなることを警告しているのである。

 ハワード・ラインゴールドは「思考のための道具」(青木真美訳,パーソナルメディア株式会社)の中で,次のように述べている
「大切なのは,その未来の技術がコンピュータをどう操作するかでなく,増強された知的能力や強化された意思疎通の手段及び増幅された想像力をどう活用するかに大いに関係しているということを,われわれが認識することである。」「パーソナルコンピュータを作った最も重要な動機は,機械が得意なことは機械にやらせ,人間は人間の最も得意なことに専念できるようにするためである。」  教科「情報」の目標は,次のように示されている。「情報及び情報技術を活用するための知識と技術の習得を通して,情報に関する科学的な見方や考え方を養うとともに,社会の中で情報及び情報技術が果たしている役割や影響を理解させ,情報化の進展に主体的に対応できる能力と態度を育てる。」

 クリフォード・ストールは「コンピュータが子供たちをダメにする」(倉骨彰訳,思想社)の中で,次のように述べている。  コンピュータの使い方ばかり教える教育は,学校の学力レベルを低下させることにもつながる。一見,先進的な科目を教えているかに見えても,その実,ほかの取り組まなければならない課題を避けているからだ。」
 ストールはコンピュータ利用に真っ向から反対しているわけではないし,筆者もコンピュータ活用の否定論者ではない。教科「情報」の目標にあるように,情報技術(例えばコンピュータ操作)の習得を通して,情報化の進展に主体的に対応できる能力,問題解決能力を身につけることを「情報」の授業に求めたい。

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第7回目 (メルマガ40号)
「近未来教室環境と教育用コンテンツについて」

 文部科学省の教育用コンテンツ開発事業によって,非常に多くの教育用コンテンツが完成している。CEC(コンピュータ教育開発研究センター)では,それらの教育用コンテンツをきちんと評価し十分使用に耐えうるかどうかのチェックを行っている。この教育用コンテンツや教材の評価について,いくつか考えるところがある。
 現在開発されている教育用コンテンツは,高精細の静止画とか,2分程度の動画像である。つまり,ストーリー性を持たない素材といえるものである。教育用コンテンツはインターネット配信を前提としているので,10分も20分も視聴させるものではなく素材を提供するものである。製作当初より素材であることを前提として作る画像と,教育的意図を含んだ教材として作る画像とはその構成から異なってくるはずである。それは,映像教材に関する「丸ごと視聴」か「分断視聴」かの議論として古くから存在している。

 昭和58年度に当時の国立教育研究所の芦葉浪久先生が中心となって開発した中学校理科教材全集の教材は,NHKテレビや教育映画の中からキーシーンとなる部分を30秒から長くても2分程度に切り出して,徹底的にストーリー性を排除したものであった。これらのコンテンツは当時のメディアVHDに保存して市販された。この教材を使った授業を全国の中学校から13校を選び,1700名の中学生に対して実施した。その中でもっとも使われなかった映像として,スカイダイビングの様子を30秒間美しいBGMに合わせて撮影したものがある。製作者の意図が教師にも生徒にも伝わらなかったということである。また,台ばかりにおもりを乗せて自由落下させる場面を撮影した44秒の画像では,静止状態では4kgの目盛りをさしていたものが,落下中はマイナスに触れてしまっている。この教材のねらいは,自由落下中には重さが0になることを指導することであった。しかしマイナスに針が触れていることを教師は説明できなかったのである。1700名の中学生の中でたった一人だけ気が付いたという映像である。

 このようなキーシーンを取り出して,「どうだ,分かったか」と言われても,教師や学習者にはその意味することが的確に伝わるとは限らない。ところがネットワーク上の教育用コンテンツでは,1つだけの映像を提示するのではなく,類似した画像や映像をまとめて提供することが可能となってきた。美術の時間に「自画像」を学習しようとするとき,自画像をキーワードとして教育用コンテンツを検索すると,非常に多くの自画像が表示される。それらを比較しながら自分の好きな構図を考えさせることができる。
 物事を比較しながら考えさせることは非常に大事なことである。特に教科「情報」では,複数の情報から,自分の責任において意思決定するために1つの情報を選択することを学ばせたい。
 近未来型教室環境では,児童生徒が携帯情報端末をもっていて,教師に向かって一斉に情報を送るというようなこともおきるだろう。かつて,アナライザーが全国に普及した時期があるが,学習者の反応を目に見える形で把握することは教師にとっても学習者にとっても有意義なことである。CAIも廃れてしまったが,近未来型教室環境では,自分が学びたい方法で学習できる手段を提供することも可能になってくるだろう。そのようなときにもLOM(Learning Objects Metadata)が有効な働きをする。LOMの国際標準規格も検討されているようであるが,NICERでは教育用コンテンツにLOMを付加する作業を行っている。このようなLOMが充実してくれば,教師の授業設計支援にも使えるだろうし,学習者の学習支援にも使えるようになるだろう。

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第6回目 (メルマガ37号)
「近未来教室環境とコンテンツについて」

 去る1月11日(土)に国立教育政策研究所において,日本教育情報学会主催で「教育の方法化」についての研究会が開催された。午後1時から6時半まで5時間にわたるラウンドテーブル方式によるディスカッションであった。参加者は3室に分かれて,80分1セッションを3回にわたって3つのテーマについて議論しあった。話題提供は,「近未来教室環境とコンテンツ」について西田光昭氏(柏市立土南部小学校)から,「体系的な情報教育の実施と評価」について加藤直樹氏(岐阜大学カリキュラム開発研究センター)から,「情報の共有化と学習ツールについて貞本勉氏(光村図書出版)からなされた。各テーブルでどのような議論がなされたかは,学会のHP等で報告されるので,ここでは私が感じたことを簡単に報告する。

 2005年までには普通教室に2台のPCとプロジェクタが置かれて,「すべての教科」の「すべての授業」において「すべての教員」がコンピュータやインターネットを活用できるような状況を実現することになっている。そのような近未来の教室環境でどのような授業が想定されるのだろうか。ディスカッションの結論はないが,いくつかのヒントは提案された。当然,議論はメリット・デメリットの両方に及んでいる。
 コンテンツがかなり開発されているように見えるが,カリキュラムに体系化されていないので,素材を使える先生の力量が問われることになる。素材(コンテンツ)をどう料理するかに機器操作が加わるので,よほどその素材を使う「良さ」が先生にも学習者にも伝わらなければ利用されないだろう。となると,学習の流れなり授業の流れ(指導案)があって,その中にコンテンツが位置付けられる必要が出てくる。しかし,同じコンテンツでも導入部,展開部,まとめ部のどこで使うかという文脈によってまったく理解が異なってくる。その文脈を作るのは児童生徒の実態を把握している担任教師である。ここにも,教師の力量を問われる側面がある。

 このように考えてくると,CAIのようなコースウェアになっていることが期待されてくる。かつてCAIのブームがあったが,教育研究者の批判の対象となり,またよいコースウェアの開発に膨大な労力を必要としたために,廃れてしまった。当時の市販教材は,ドリル・演習タイプがほとんどで,知識注入には効果があっても思考力の育成にはならないとする批判であった。アメリカ・カナダで先行したWBL(Web-Based Learning)はかなりのサイトが閉じられているようである。通信教育の孤独感とか,意思の強さが必要であることなど,経験者はWBLの欠点を感じることができるだろう。さらに,これらの学習を支援する動機付けが重要になる。資格とか受験とか外発的動機だけでは一部の者に留まってしまう。学習が面白い,「分かった」という感動を与える内発的動機付けが重要な役割を持っている。WBLという新しいシステムには,まだこの内発的動機付けを支援する部分が貧弱である。

 教室や校内のネットワーク化も大事だが,職員室内のネットワーク化は重要であるという意見が強かった。そのとき,コンピュータやネットワークが便利だという感動を教師自身が体験することによって,授業にも活用してみようという気になるかもしれない。そのような環境を作り上げるソフトがグループウェアである。グループウェアはどちらかというと,CMI(Computer Managed Instruction)の範疇に入るだろう。教員のスケジュール管理,時間割の管理,教室・施設の管理,出欠席の管理等々,学校経営・学級経営を支援するツールとしてはかなり便利である。しかし,本来のCMIは教師が授業をどう設計すればよいかを支援するものであった。そこから,個々の学習者の学習支援に使われることであった。このことも,先に述べたWBLを考えるうえでの重要な要素となる。

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第5回目 (メルマガ34号)
「教科『情報』−如何に教え,評価するか」

 去る11月4日に日本教育工学会第18回大会が長岡技術科学大学で開催された。その中で,シンポジウムが表記のテーマで行われた。コーディネータは植野真臣先生(長技科大)で,司会が松田稔樹先生(東工大)であった。登壇者は5名で,国立教育政策研の中村先生以外は高等学校の現職の先生方であった。各先生方の主張を簡単に紹介させていただく。
 松原雄一先生(長野県立木曽高校)は,「普通教科「情報」実施に向けた学校現場の準備状況」と題して,長野県の事例を紹介され,現場での問題点を指摘された。長野県では,「教育の情報化」に関する各種の研修や研究が成されている。特に,教育の情報化ハンドブックは,県内の小中高の事例がまとめられ,Web上で閲覧できるようになっている。
 教科「情報」の講習会では3ヵ年で235名の受講者に対して行われたが講習会後の研修の参加率が極端に低く,16年度以降に実施を予定している学校が多く,全体として「情報」に対する関心が低い実情である。指導内容を研究する母体となる研究会が存在しないという問題もあり,高視教の中に部会を設けて研究を開始し始めたところである。論文集内に,県内の参考URLが紹介されている。
長野県教育情報ネットワーク  http://www.nagano-c.ed.jp/
長野県総合教育センター    http://www.edu-ctr.pref.nagano.jp/
 江守恒明先生(富山県立大門高校)は,「『情報C』の実施に向けた指導・評価の実践と課題」というテーマで,大門高校で数年前から実践を試みられてきたことを元に提案された。グループで行う大きな実習(ポスター制作,CM制作,新聞制作)を学期ごとに取り上げ,総合的に情報化の進展に主体的に対応できる能力と態度の育成を目指されている。実践では提案ワークシートや発表準備ワークシート,相互評価ワークシートなどを有効に活用されている。評価シートでは,グループごとに良かった点と改善する点を1行程度書かせているそうである。特徴は,成果物及びプロセス毎にルーブリックを作って,客観性を持たせていることである。江守先生の実践は,学情研の「学習情報研究」7月号に紹介されている。
 奥村 稔先生(北海道札幌北高校)は,「普通教科「情報」における評価の考え方と評価基準の具体化−地域・学校間の連携を含めて−」という題で,自律プロジェクトの紹介がなされた。本校は100校プロジェクトに参加して,学校共同企画として自律プロジェクトがスタートした。自律プロジェクトとは,活動テーマを参加校が独自に設定し,地域的な活動を確保する地域分散型のプロジェクトにしたものである。このような取り組みは,「情報C」との親和性も高く,総合的な学習への発展も考えられる。学習活動を通した生徒用のポートフォリオと教師用のポートフォリオを工夫し,授業に活用した教材をポートフォリオ化し,次年度の教材化に役立てているそうである。「情報C」の目標に準拠した観点別評価の一部も紹介されたが,ルーブリックのスコアも紹介された。
http://www.lausd.k12.ca.us/Lincoln_HS/DHS/Resources/MM_Rubric.pdf

 川角 博先生(東京学芸大学附属高校)は,「普通教科「情報」の実施に向けた課題と教育工学会への期待」という題で,教育工学的な評価方法などの研究に対する期待が寄せられた。観点別評価は,観察が難しいし,作品は膨大な量になるので,良さは分かるが実際は難しいと言う感想が述べられた。本校での必修としての「情報」の設置と実施に関する報告では,どの教科にも基礎となるものとして位置付け,あらゆる教科や特別活動に関わるもの,リテラシーという意味合いを強めた,ということであった。
 中村一夫先生(国立教育政策研究所)は,文部科学省の立場として「普通教科「情報」の評価の考え方と評価基準」を提案された。教課審の答申より,「指導と評価の一体化」を解説され,普通教科「情報」の評価の4観点(関心・意欲・態度,思考・判断,技能・表現,知識・理解)が紹介された。これらの4観点を総合的に評価することにより,偏った評価に陥らないようにすべきという指摘も成された。特に量的な評価を求めているよりは,質的な評価でよいとのことであった。国教研のWebページには小中学校の教科の評価基準の報告書が載っていること,来春には教科「情報」の観点別評価の具体例が掲載される予定であるので,参考にしていただきたいとのことであった。なお,情報教諭講習会による教師養成は,当初全国で9000名の予定者に対して,14000名が養成できたとのことであった。今後,情報教科担当教員を組織化することが課題であるとの指摘もなされた。

  平成15年4月からの実施に向けて,都道府県における教員養成にも温度差があり,ほとんどの学校が「情報A」の履修を予定しているようである。中村先生のご指摘のとおり,全国的な研究組織があるわけではなく,東京都高等学校情報教育研究会(http://www.tokojoken.jp/)のような研究母体を組織化している県も少ないようである。情報教育に関連した学協会と共に,「情報」担当教員との共同研究が盛んになるように期待したい。

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第4回目 (メルマガ31号)
「新教科『情報』の教科書」

  東京都教育委員会のWebページから指導部管理課を覗くと、平成15年度使用高等学校教科書調査研究資料が掲示されている。「情報A」の教科書は13社から13冊、「情報B」は9社から9冊、「情報C」は9社から9冊である。そのうち、すべての教科書を出版した社は8社で、「情報A」しか出版しなかった社は3社、いずれか2冊を出版した社が2社であった。
 各社の思惑があるにしても、「情報A」しか出版しなかった社は現場の実態を理解しているというべきか、情報担当の教師が甘く見られたのか、大いに議論の余地のあるところである。新規に高等学校の教科書出版に参入した出版社もあるが、老舗の社であるT社が1冊しか出さないということは、教科書作成のポリシーをどのように考えているのか、伺いたいところである。
 新教科「情報」をスタートさせて情報教育の三本柱である「情報活用の実践力」「情報の科学的理解」「情報社会に参画する態度」を育成するために、それぞれにウエイトをおいた3科目を設置したのだから、3科目分の教科書を情報担当教諭に提示し、その中から選択できるように提供することが教科書会社の責任であると思う。別の視点からとらえてみると、戦後の普通教育の中で新設された教科は「情報」のみである。その新教科を必修とするのであれば、1科目でもよかったのではないか。文部科学省の説明によると、それぞれにウエイトのかけ方が異なるにしても3科目に共通するコアになる部分があるということであった。ならばそのコアの部分を徹底して高校生に教えるべきではないだろうか。つまり、新設教科であれば、1教科・1科目にすべきだったのではないだろうか。

 現職教諭の状況はどうだろうか。初年度でもあり、「情報A」の採択率が多いのは予想通りであった。しかし、その背景にどんな条件が作用しているかを噂話から拾ってみると、教科「情報」が10年間維持できるかどうか不安になってくる。その条件とは職業高校の統廃合である。工業高校はその専門性からして、普通科と統合して総合学科を新設する県もあり、教員もリストラ対象にならない場合が多いようである。それに対して、商業高校の教員はどうだろうか。情報処理や簿記の時間に表計算ソフトの使い方を教えていた教員が、「情報」の免許を取得して普通科に異動して「情報A」の時間に表計算ソフトの使い方を教えるという構造になりそうだという噂話である。
 まだ動き出していない新教科「情報」であるが、スタートする前から本来の趣旨と異なった方向に進みそうだという諸条件や諸要素を抱えている状況に前途多難な思いがする。情報教育の大きな三本柱を立てて、日本国民全員にIT技術を身につけるようにIT基本法が制定され、悉皆講習会もなされ、小学校から一貫した情報教育の流れを築き上げてきて、ようやく新教科「情報」が陽の目をみたのであるから、10年で消失してしまうような教科には絶対にしてはならない。

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第3回目 (メルマガ28号)
「パソコン学ぶ新教科『情報』必修」

 Y新聞の9月16日付朝刊にこのような見出しで記事が掲載された。記事の中で、「不安は教師の数と質」にふれて、学校によっては相談できる「情報」免許取得者がいないとか、他教科との兼務で新教科の準備に時間をかけられない、といった現場の教師の悩みが記されていた。記事にはなっていないが、ある地方行政では、「情報」免許取得教員に校内サーバーの管理やホームページの作成管理までやらせようとしている、という噂さえ伝わっている。
 来年度から高等学校で必修の「情報」は、3年間の現職教諭等講習会において、「情報」免許取得の講習会が都道府県教育委員会で実施され本年度で終了した。平成11年度に文部省に各教育委員会が提出した養成計画を大幅に越える免許を交付した県と、予定を大幅に下回る県とがあるようである。いずれ、文部科学省からこの現職教諭等講習会を通して発行した免許の数を、国公私立別に集約して公表されるであろうし、そうあってほしい。

 「情報」教員の養成が行政によってまちまちになったのは、一人1免許に拘った県と基礎免許との併用を認めた県との違いではなかろうか。東京都の本年度の「情報」教員採用試験の資格の中に、数学又は理科の免許を持っているものという条件があった。この条件のために、昨年度特別資格検定試験に合格して「情報」の免許を取った教師は受験できなかったし、教職課程で「情報」だけの免許を取得した学生は受験さえできなかったのである。
 平成15年度の「情報」教科書発行者別需要数の集計を見ると、J出版が37%で、次いでN出版が18%、D社が13%という状況である。全部数では約76万冊であるが、約83%が「情報A」で、約9%が「情報C」、約8%が「情報B」であった。これは、大方の予想通りであったと言えるだろう。J出版がトップになった理由も頷ける。従来から情報処理教育の教科書や参考書では実績があるからである。しかし、「情報A」の教科書は、パソコンのマニュアル本ではないはずである。
 N出版は従来まったく高等学校の教科書発行に実績がなかったが、第2位になった。これは、早い時期から研究会やシンポジウム、学会での宣伝活動などによるものと思われる。

 さて、都道府県別の採択状況を見てみると、西高東低がはっきりと見て取れる。昨年度の日本教育情報学会のシンポジウムでも、関西方面の先生方の熱心な取り組みが報告されていたのに対して、東京都立高校の状況は芳しくなかった。平成17年度までに開設すれば良いという都立高校が圧倒的のようである。はたしてそれでよいのだろうか。
 山口大学で8月31日から開かれた、日本教育情報学会第18回年会論文集の中で、小田光宏氏等(青山学院大学)は「情報A」は問題解決学習としての位置付けが重要であるということと、そのプロセスはEisenbergとBerkowitzが開発したBig 6 Skills との類似性が高く、「問題解決学習」に必要な技能のモデルとして取り上げている。その中で、情報科教諭の技能と、司書教諭の技能の対応を表形式で提案し両教諭のコラボレーションを提案している。さらに、教科「情報」で扱う「情報技能」は、基本的にコンピュータ操作であるが、しかし、コンピュータやディジタル情報といった限定的な「情報活用」に留まるのではなく、既存の印刷メディアや視聴覚メディアをも含みこんだ広い意味での、そして、真の意味での「情報活用」を目指すべきである、と主張されていた。
 J出版のマニュアル的教科書が現場で最も受け入れられたということは、見出し記事のように「情報A」ではとりあえずパソコンを学ばせておけばよいという認識なのだろうか。

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第2回目 (メルマガ25号)
「新教科『情報』現職教諭等講習会に関して」

 平成14年度をもって、都道府県で平成12年度から行われてきた新教科「情報」現職教員免許講習会を終了する。その講習会の講師養成として平成11年度に文部省の研修会があり、私も東京都からの依頼で現職教諭講習会の講師になるために参加した。それから3ヵ年毎年夏休みに、教員養成の講師をしてきた。11年度に東京都の講師となった人数は50人ほどで、東京都の場合、12年度の受講者は180名程度であった。3ヵ年で9000人の教員を「情報」教員にする文部省の計画で、6000人が普通教科を主に教える教員と想定されていた。東京都では私立と国立公立を合わせて約1200名の養成計画を立てていた。都立学校ではその半数の600名を養成する計画であった。ところが今年度までにその半数の約300名しか受講者はいなかったのである。

 文部科学省では都道府県における「情報」免許発行数をいずれ集約すると思われるが、かなりのばらつきがあるものと思われる。県によっては公立高等学校の設置数の3倍に相当する教員が「情報」免許を取得する予定であると聞く。東京都の場合は、取得後の人事の条件が明示されなかったことも災いして免許取得に躊躇する教員が多かったことは事実である。また、平成15年度から開設することになっているが、カリキュラム構成で2,3年生に選択科目として置く学校も多いようである。
 東京都の場合、平成15年度に開設する学校は2、30校程度とのうわさである。17年度に開設する予定の学校もあるそうである。昨年の11月に行われた日本教育情報学会のシンポジウムで教科「情報」に関する議論がされたとき、関西圏では平成15年度から実施する学校が多いそうである。このような温度差は、教育委員会の取り組みの姿勢の違いと思われる。ちなみに、東京都の教員採用試験の「情報」受験資格に、数学又は理科の免許を保持するものという条件が課せられていた。この条件のために、過去2年間実施された特別資格試験で合格して免許を取得した人は、「情報」免許しか保持していなければ東京都の採用試験を受けられなかったのである。
このような条件を課すくらいであれば、平成12年度の養成講習のときから、基礎免許との兼任も保障すべきであったろう。最終年度になって、各学校の実態に応じて基礎免許科目との兼任も可能ということになったそうであるが、あらたな教科の設置に対して行政がどのように考えているかの温度差は予想以上に大きいように見受けられる。

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第1回目 (メルマガ21号)
「教育用コンテンツ開発の潮流」

 6月8日(土)東京工業大学において、日本教育工学会シンポジウムが開催された。午後のシンポジウム2で「教育用コンテンツ開発の潮流」をテーマに、文部科学省生涯学習政策局の繻エ靖氏と国立教育政策研究所教育研究情報センターの清水康敬氏が基調講演を行った。その後、岩手県立岩手大学の鈴木克明氏が「活用方法を提案して初期の目的達成に導く教材」、NHK教育番組部の箕輪 貴氏、聖心女子大学の永野和男氏が「教材コンテンツの開発とその普及の戦略」についてディスカッションの話題を提供した。

 繻エ氏は、文部科学省が教育の情報化の目的として従来から提唱している「情報化社会に主体的に対応できる情報活用能力の育成」と「ITを活用した、わかる授業の実現」の他に、「学校と家庭・地域との連携をはじめ学校運営の改善」を挙げた。これは、平成14年4月から施行された小学校・中学校設置基準において、当該学校の教育活動その他の学校運営の状況について、保護者等に対して積極的に情報を提供することが規定されたことに基づいている。

 清水氏は、教育情報ナショナルセンター(NICER)を教育用ポータルサイトとして、こども、おとな、せんせいが教育用コンテンツを求めやすくLOMデータベースの拡充と検索システム、一次情報の提供などを準備していることが報告された。いっぽう、日本教育工学会が果たす役割として、「優れたコンテンツの指針、開発、利用の促進」「学校教育や家庭教育のニーズを把握」「開発ツールの研究」「教育用コンテンツの実践評価」を挙げ、学会としてコンテンツに係わる技術開発や人材の育成、コンテンツ利用に関する契約慣行、科研費特定領域研究への積極的申請を行うことが提案された。

 鈴木氏は、ご自身が開発に関わってきた、教育情報化研修用CD-ROM(IPA/CEC)や、教育情報化推進指導者養成教員研修プログラム(IPA/JAPET)、NHKの通信制高校講座向けWebサイトの開発などを通して、教育用コンテンツが普及しているのかどうか疑問を提起された。

 箕輪氏は、NHK学校放送番組のディジタル化について、ディジタル教材2002の紹介がなされた。今年度は88校プロジェクトとして、「たった一つの地球」「おこめ」等、7テーマに分かれて研究を行っているが、2005年度には200校に拡大する計画との事である。今後の課題として、学習効果の検証と評価、どこまで品揃えするか、交流サイト運営の組織化、教師ネットワークの再構築等が提起された。

 永野氏は、「コンテンツは本当に不足しているのか」という疑問提起から始まり、文部科学省の教育用コンテンツ開発事業の流れ、その実際の紹介があった。それらのコンテンツを使って、どんな学習が実現できるのか、コンテンツを活かす学習支援ツールや素材検索ツールの開発が必要になるだろうと提起された。

 最後に、指定討論者として電気通信大学大学院の岡本敏雄氏が次のように提案された。ディジタルコンテンツが、かつての「ミミ号の航海」のように一過性で根付かないことがないように、カリキュラムとの関係で捉える必要がある。それはコンテンツ教材にCompetency modelが欠けているからではないか、新しい教材をどう使っていくのか、新しい一斉授業の形態を作り出すことが必要である。協調学習のあり方がまだ甘く、工夫がないようにみえる。プロジェクトベースあるいはミッションベースな取り組みでは、メンバーの役割をデザインして、コンテンツをどう使っていけばよいのかを提案しなければいけないだろう。そのための目標をどう設定するのかを考えるべきであると問題提起された。

フロアからは、日本女子大学の澤本氏から「教育用コンテンツが使えるかどうかは、教師のカリキュラム構築能力との関係が問題で、能力の教師は使えないから教師の能力を高める必要がある」との意見が出された。それに対して、NHKの箕輪氏は、教師に力量を求めるコンテンツで良いのではないか、力量のある教師にとって自由に使えるものをこれからも提供するとのコメントがなされた。

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