十文字学園女子大学スペシャルコンテンツ

特別対談 土井善晴先生 相馬満利先生

本学の特別招聘教授で料理研究家の土井善晴先生と、2012年のソフトボール世界選手権に日本代表として出場した人間生活学部健康栄養学科助教の相馬満利先生の対談を全6回にわたって紹介します。今回、初めての対面となったお2人の座談会。土井先生の「なぜ人間は動くの?」という根源的な疑問からスタートした対談は、スポーツと料理の意外な共通点へと発展していきました。

目次

第1回
スポーツを楽しむについて
第2回
経験の無限の蓄積が、偶然をものにする力(セレンディピティ)を呼び込む
第3回
「一生懸命」のプロセスが、成長につながる
第4回
無意識、無心から「ゾーン」への昇華
第5回
「他者を思うこと」で、力を発揮できる
第6回
スポーツと料理の“道具”を使うコツとは?
第2回

経験の無限の蓄積が、偶然をものにする力(セレンディピティ)を呼び込む

土井 私は個人的に、若い頃はいろいろ意識して緊張してしまうことから逃れられなかった。ええかっこしいだから、結果ばかりを考えて、余計に緊張するんです。気にしないでいようと思えば、余計緊張してしまう。なかなか難しいことでした。今ようやく、緊張しなくなりました。ずいぶん時間がかかりました。

相馬 土井先生でも緊張されていたのですね。いつも堂々としていらっしゃるので、意外な感じがします。

土井 緊張してうまくできない経験をしてきた私からすると、一流のアスリートのここ一番での強さにも興味があって。例えば長嶋茂雄選手やイチロー選手がここというところでヒットを打つ。サッカーの本田圭佑選手もそうだけど、「俺は持ってる」みたいなことを自分で発言したりもしますよね。その「持っている」と、「持っていない」との違いは何なのかということも考えたりします。

相馬 確かに。ここ一番で活躍できるすごい選手がいます。自分に自信がないと、こういう言葉自体、発することができないように感じます。

土井 そう。そういう「持っている」「持っていない」の違いを考える手掛かりになるのが、経験かなと思うんです。私は料理をする経験をたくさんしてきましたが、その蓄積でだいたいのものを予測できるようになってきたと思います。私は、和洋のプロフェッショナルな高級料理から日常の家庭料理までいろいろやってきたので、食べる前に「ああ、これはおいしいものだ」と分かるんです。それは、直接料理に関わることでなくても、「あの人が買ってきた大福餅だったらおいしいやろな」とか、「あの店はおいしい」みたいなことも含めて予測できるようになるんですね。

相馬 分かります。私も、経験に勝るものはないと思います。

土井 たくさん経験をして、それを次に生かすことができれば、おいしいものに出会うチャンスは圧倒的に多くなります。お店のメニューの中でも、どういうものを食べたらいいかは分かってくる。つまり、自分のすべての経験から、自然に、成功率が高いコンディションをつくることができるということなんです。セレンディピティ(Serendipity)という言葉があって、偶然をものにする力という意味なんですけど、アスリートの皆さんも、いかにその確率を高めるかということをやっていると思います。

だから、「あいつ持ってるって言うけど、運がいいだけや」と言う人もいますが、そうじゃなくて、それまでの経験の蓄積で、ボールが右に転ぶか左に転ぶかということさえも呼び込めるということだと思うんですね。

相馬 なるほど。経験を積めば、失敗も成功も経験できるので、場数を踏めば踏むほど、こうすれば失敗する、成功するというのが分かってくるというのは、とてもよく分かります。

土井 イチロー選手や本田選手のような超人の話は、普通の人とは違う次元のような気がしますが、誰もができることに置き換えて考えてみると、やっぱり、準備が大事ということだと思います。料理をするにしても、一番ふさわしい、いい材料を選ぶ、そのために、何をどこで買うというように、おいしくなる可能性が高いものを最初から選んでいくわけですね。無意識のうちに、みんな事前に準備してそれをやっているわけですよ。

相馬 すごくよく分かります。スポーツでも、試合の前日などに準備がちゃんとできたら自分の普段通りのプレーができます。逆に、準備を少しでも怠ると、自分の持っている力を出せなくなるので、準備がいかに大事かということを実感します。

例えば、試合前には、相手ピッチャーの動画などを何度も見て研究します。クセを徹底的に研究しておくと、ソフトボールの場合、マウンドからバッターボックスまでの距離が短いので、ピッチャーのボールの握り方とか、極端にいうと腕の筋肉の筋を見て、何を投げてくるかが分かるようになります。指がちょっと立っていると、ライズボールかな?とか、ある程度球種を絞ることができるようになるんです。

土井 それだけ綿密な準備をされるということは、それがあるかないかで、その日のプレーは大きく変わってくるでしょうね。

相馬 はい。それに、準備をしておくことは自分の自信につながります。これだけやって、これだけイメージしたのだから、打てないはずはないと。

土井 なるほど。普通の人はそこまで入念な準備はできませんが、でも、何かに臨むときの準備というのは、普通にやっていることだと思うのです。例えば、「道具を大切にしなさい」と言われるのは、準備の日常化。道具をきちんと使える状態にしておかないと何もできないので、いつでも整えておくということです。

「身だしなみ」もそう。今日は格好良く料理をしようと思って見栄えだけ気にしたら、袖や髪の毛が気になるということではうまくいかない。調理場でエプロンを着けるのは、プロテクトになるし、衛生管理につながります。髪を留めたり、余分なアクセサリーを外したりするのは、髪に触るとか、余計な動作をしなくても済むようにしているのです。料理をする上で気にならないように身だしなみを整えて、「よし、こい!」というスタイルを作っているわけですね。その準備を整えた状態が、ゼロというコンディションだと思うのです。

相馬 とてもよく分かります。スポーツもそうで、自分のプレーに集中できるようにという観点と、観客の皆さんが見てくださっているという観点から、髪型も含め、身だしなみはきちんとしようと心がけていますね。そうしないと、自分の気持ちも落ち着かないんです。

土井 そう。自分がそっちに気がいかないようにしておくことですね。きちんと身だしなみが整っていないと、気持ちが引っ張られて気になってしまうから。気になったらダメ。何も考えないで、最高のパフォーマンスができるコンディションをつくるということが大事ですね。

相馬 分かります。あらゆることを考えておくことは本当に重要ですよね。スポーツでは、考えないと体が動かないので、やはり、プレーの前には一通り、1試合分のことを考えます。先ほどのピッチャーの投げ方のクセを研究することもそうですが、このピッチャーはこういう配球でくる、じゃあ自分はどういうアプローチをしようということは絶対に考えますね。

土井 そうそう。それが行動につながる。つまり、あらかじめ考えておけば、その瞬間に考えなくて済みますよね。スポーツと一緒で、料理でも整えておいて、調理場に入ったら、体を動かすだけでいいというコンディションを整えています。

相馬 そうです。そうすれば、大事な場面で無意識に動くことができます。

土井 私、軟式野球がすごく好きでよくやっていたのですが、守備に就いているときに、2アウトだからランナーはニアベースでいいとか、バックホームを最優先に考えるとか。とにかくそれを心に置く。そうしないと行動できないですもんね。

相馬 そうですね。例えば、点差を付けて勝っている状況ならば、1点あげてもいいからシフトを変えるということも考えます。打球が飛んだ方向などで判断するので、それをわずか1秒の間に考えます。

土井 どう守るか、打球が後ろにいく可能性があると考えるだけで第一歩が速くなる。

相馬 そうです、そうです。

土井 これは解剖学者の養老孟司先生に学んだことですが、人間はね、手を動かそうと思うと、0.5秒前に神経は動いている。意識として上がってくる0.5秒前に。ということは人間って考えて動いているのではないということなんですよ。

相馬 そうなんですね。ソフトボールは、ピッチャーが投げたボールがホームベースを通過するまでが0.4秒ほどしかありません。0.4秒のなかで、バッターは考えて配球を読んでいるので、そのお話の理屈が分かるような気がします。

土井 つまり、人間は反応するんです。複雑な社会のなかで、その反応を要求されたときに、やっぱり脳がその下ごしらえをして反応しているんだと私は思うんです。

相馬 反応できるという状態も、経験に裏打ちされてできるということですね?

土井 そう。経験が蓄積されるから、なんとなく気配のようなものが分かるんです。経験を積み重ねていくことって、本当にすごい力になっていくんですね。そしてその経験を積み重ねていくときに、一生懸命取り組むということが大事だといつも感じているんですけど、そのことはまた次の回でお話しましょう。

(次回へつづきます)
2022.10.28

PROFILE

土井善晴(どい・よしはる)先生プロフィール

1957年大阪府生まれ。スイス、フランスでフランス料理を学び、帰国後、大阪の「味吉兆」で日本料理を修業。土井勝料理学校講師を経て、1992年に「おいしいもの研究所」を設立。本学では特別招聘教授として教鞭を執る。東京大学先端科学技術研究センター客員研究員。『一汁一菜でよいという提案』(新潮文庫)、『一汁一菜でよいと至るまで』(新潮新書)、『料理と利他』(中島岳志共著・ミシマ社)など。

相馬満利(そうま・まり)先生プロフィール

1990年神奈川県出身。2012年、第13回世界女子ソフトボール選手権大会で大学生唯一の日本代表として出場。ポジションはショートで、上野由岐子投手らとともに42年ぶりにアメリカを倒し世界一となる。2013年、ルネサスエレクトロニクス株式会社(現:ビックカメラ)に入社し、日本代表としてアジア大会優勝と日本一を経験。現在、十文字学園女子大学 人間生活学部健康栄養学科助教。専門は、スポーツバイオメカニクス、形態測定学、トレーニング科学など。