合理化rationalization
すっぱいぶどう
- たとえば…
- 散々迷った挙句に購入した製品が、ライバル社の製品よりも、評判がよくないことをあとから知った。でも、私にはこちらの製品のほうが合っていると思うから満足だ。
ある日、キツネは、たわわに実ったおいしそうなぶどうを見つけます。食べようとして跳び上がりますが、ぶどうはみな高いところに実をつけているため、何度跳んでも届かず、結局はあきらめることにしました。
さて、このときのキツネの気持ちは、次の2つのどちらに近いでしょうか。想像してください。
- おいしそうなぶどうなのに、食べられないなんて、残念だなあ。
- 最初はおいしそうに見えたけれども、どうせあんなぶどうは、すっぱくてまずいに違いない。誰が食べてやるものか。
例に示したのは『すっぱいぶどう』というイソップ童話で、物語の結末では、キツネは「どうせこんなぶどうは、すっぱくてまずいだろう。誰が食べてやるものか」と捨て台詞を残して去っていきます。キツネは少なくとも当初は「ぶどうはおいしそうだ」と思っていたはずですが、どうして気持ちを変えたのでしょうか。それは、「ぶどうはおいしそうだ」という気持ちと「そのぶどうを自分の力で手に入れることができない」という気持ちが相矛盾するためです。そこでキツネは「そのぶどうはすっぱいに違いない」と最初の考えを改め、「わざわざ取るに値しない」と、自分の能力不足を合理化することで、二つの気持ちの矛盾を解消しようとしています。
このような合理化は、認知的不協和理論によって説明されます。フェスティンガーは、自分や自分を取り巻く環境についての認知(知識、意見、信念など)の間に矛盾や食い違いがある場合、それらは認知的に不協和な関係にあると考えました。このような不協和な関係は、不快感情を生み出すため、私たちは何とかして不協和な関係を解消しようとします。
ここで重要なのは、当人の主観のなかで矛盾が解決されれば、たとえ客観的事実として解決されていなくても(たとえば、本当はそのぶどうは非常においしいものであっても)、不快感情は低下するということです。したがって合理化は、当人の精神的健康の維持には不可欠ですが、本質的な問題解決には至らず、かえって問題を大きくしてしまう場合もあります。
【参考文献】
フェスティンガー (著), 末永俊郎 (訳) 認知的不協和の理論 ―社会心理学序説 (1965) 誠信書房(Festinger, L. (1957). A Theory of cognitive dissonance. Stanford, CA: Stanford University Press.)